Hiroshima -丹下からノグチ、コルビジェ-

 

 初めての広島。

 平和記念公園を見て帰らない訳にはいかない。運良くその日の仕事現場と近くて希望を果たせた。訪れた時は丁度黄昏時で、原爆ドーム(旧広島県物産陳列館)も原爆慰霊碑も、西陽を浴びてそのシルエットをより印象的に見せていた。

 

 碑の前に立つと、自然と祈りに導かれるというか、圧倒的な空気感で、鎮魂、原爆の被害に遭われた方々を想わずにはいられない。この街の意志と丹下健三設計の建築空間の力に気持ちを動かされる。

 

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慰霊碑の先に原爆ドームを望む
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日本で最初のメザニーン(中2階)を持ったと言われる平和記念資料館

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水と火がコンクリートに動き、変化を与える。

 

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毎年8月6日ともなれば、必ずニュースに映し出されるこの慰霊碑の設計に関して、様々なエピソードが伝えられている。

 広島で高校時代を過ごした丹下氏が、高校の図書館で読んだ建築雑誌に載っていて、建築家を志すきっかけとなった、ル・コルビジェによるソヴィエトパレス案のアーチに影響されているという話。

 

またイサム・ノグチ氏に慰霊碑モニュメントの制作を依頼し実際に素晴らしい案を出してもらったが、アメリカ人のデザインという事で受け入れられなかった、など。

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PALAIS DE SOVIETS,1931<Les Editions d'architecture Zurich- Le Corbusier 1929-34>より

 

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<X-Knowledge HOME イサム・ノグチ生誕100年>より

 

最終的には丹下氏のデザインで今ある形に収まり、平和大通りから90度の方向に平和記念資料館、慰霊碑、慰霊碑のアーチの中心に原爆ドームを望むという魂を揺さぶる配置とデザインにより、戦後日本を象徴する名建築になった。